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目には見えない大きな力に背を押されるようにして始めた御詠歌です。講員の皆様は若輩の私と共に今日まで歩んできてくださいました。陰で支えてくださった方々にもこの場をお借りして心よりお礼申し上げます。今回の巡拝は、勤行式と御詠歌をお唱えしましたので初めてのことばかりで戸惑うことも多々あったかもしれません。しかし、信仰を同じくする仲間と共に喜びを感じながら巡拝し、三十四ヶ所の霊場の参拝を終える頃には皆朗々と御詠歌をお唱えすることが出来、観音様のご加護を受けたどなたのお顔もとても穏やかで満ち足りたものを感じさせてくれました。和気藹々と巡った秩父路で皆様が心に思い浮かべたこと全てがこれからの生きていく糧となることでしょう。これからも御詠歌を通して皆様と益々親交を深め、心穏やかに幸せな日々が送られるよう精進して参りましょう。
秩父札所めぐり 安西和子
そして平成十年主人と秩父巡礼三十四ヶ所を果しましたそしてその後も時折秩父へ出かける様になりました。こうした折御詠歌に入れて戴き、此の度の巡拝のお話があり喜んで御一緒させて戴きました。昨年十月、十一月の秋の巡拝そして今年二月、三月の春の巡拝、巡礼衣に金剛杖での巡拝は見も心も引き締る思いで御座いました。そして楽しい旅でもありました。きっと生涯忘れない思い出となるでしょう。巡拝を終えた今私は弘法大師様が私達皆に幸せをお授けして下されたのだと思い感謝の気持ちで一杯です。こうした気持ちになったのも御詠歌を御指導下された先生のお蔭と思って居ります。どうも有難う御座いました。
春は山笑う桜の満開、秋は全山が五色の色に包まれ丸で錦絵の如く散り際はこんなに美しく着飾り散って行くのかと感心しました、般若心経と各お寺の本尊観世音菩薩を唱えながら三十四箇寺巡拝させて頂きました。古来から伝わる各寺の木々の大木又満開の枝垂桜の美しさ現生を忘れ色々な仏像に逢わせて頂きしばし浮き世離れした心に癒され本当に有難く感じました。最後のお寺で参拝が終わり御住職さんが一人ひとりの名前を読み上げて頂き満願の報告をしてくださり嬉しくて涙が出ました。本当に有難うございました。最後になりましたが、お寺とは日本人の心の原点の様な気がします。
秩父盆地に散在する霊場は、風景が美しく水はきれいで食べ物はおいしく、人々は純朴でその札所めぐりの妙味も、こうしたところにあるため今日まで息づいているのではないでしょうか。そもそも秩父は山岳宗教の盛んな時代に、山伏たちにより周囲の山々が開かれ、その後禅寺が建てられたりして、独特な文化が生まれたのは七~八〇〇年前頃で、当時十三人の聖者が巡拝し札所を設けたらしいと聞くと、今では札所まで家々が建ち並び札所も整備され、先人がどこぞから垣間見て驚いていられるかなーとあらぬことを思いながら巡拝しておりました。同行二人と言うがこんなことを思う者との同行は、今一人のお方(弘法大師?)は迷惑な思いをされているかなと反省ひとしおです。とあれ家に着き冷たいビールと秩父駅で買った豚の味噌漬けのおいしかったことこれが極め付きの思い出になりました。
これからも心安らぐ御詠歌をお仲間とお唱えしてゆきたいと願っております。 合掌
平成十九年十月二十二日第一番誦経山四萬部寺を初め御詠歌をお供えし十一ヶ寺無事終了。十一月十二日第八番清泰山西善寺より十一ヶ寺、お天気もよく秋の一日をたのしくお詣り出来た事よろこんで居ります。平成二十年三月二十四日今年はお開帳第二十四番光智山法泉寺より七ヶ寺お詣り出来ました。四月七日第十一番南石山常楽寺より六ヶ寺第三十四番日沢山水潜寺にて結願のお読経をいただき一人一人の名前を読み上げ本当に有難く思いました。第三十一番鷲窟山観音院石段が二九六段との事、私にはとても上まで行けないので矢野さん清水さんと三人で下で手を合せ待つことにしました。前の茶店にてよもぎ茶、山からの清水とってもおいしくいただきました。秩父美術館の西さんと云う方に会いいろいろ写真を写して下さいました。三人がモデルになりたのしい一時でした。御住職、先生を初め青蓮寺の皆様とも良い出合が出来た事これも御詠歌のおかげと感謝致して居ります。今後共よろしくお願い致します。
昨年奥様より秩父巡拝の計画をお話された時に今どきの後期高齢者の私が参加出来るのかと不安が重なりました。八十路を越えてから両ひざの痛み、腰の痛みなどおぼつかない状態が時折感じる様になりましたので迷いました。遠い路のりを歩くことが出来るか・・・・・・それでも皆さんと参加して一緒に歩きたいと云望みが強く一心でした。参加を決めてから足腰を鍛えようと日常生活に注意を重ね、健康状態も維持出来る様私なりに努力致しました。お陰様で参加させて頂きましたが第一回目の巡拝の後はつかれも感じこれから先続けられるのかと不安になったのは事実です。皆さんの励ましもありどうにか二回目、三回目と巡拝することが出来ました。四回目の日程はお寺が六ヶ所のみと云うことで心のゆとりが少しありましたが三十一番寺の二九六段と云う石段に圧倒されあきらめ、三十四番寺はこれが最後と登りましたが急な坂道で杖を頼りに頂上の門前に着いた時は、例えようのない嬉しさがあり満願出来たよろこびを味わいました。振り返って巡拝の中肌寒い日もありましたが雨にぬれることなく全日程を無事秋から春にかけての巡拝出来ましたことは有難く、大師様のご加護の由縁とつくづく思いました。奥様のご指導のもと、ご詠歌を唱えられたこと、皆様の暖かい心にふれ合うことが出来たこと、ほんとうに有難うございました。
秩父札所めぐりに参加させて戴き、静かな山村の寺で、御住職の響きの良いお声の元に、まだまだ未熟で慣れない御詠歌ですが、一生懸命に唱えさせて戴きました。昨年十月より四回に分けての、日帰りの巡礼も此の度、桜花爛漫の好季節、四月七日の最後として、三十四霊場を完拝出来ました時の、なんともさわやかな、すがすがしい気持ちで成し遂げた自信と満足感を味わいながら、特に三十一番観音院への階段登りは、心に残る思い出になる事と思います。何よりも講員一同、元気に御仏御大師様のご加護によって、天候にも恵まれて(翌日の豪雨を思います時に・・・・)予定通りに終了できた事に、心より感謝いたしております。本当に有難う御座いました。
室町時代の長享二年(1488年)に番付されたという秩父札所三十四ヶ寺を巡拝した。しかも各寺院にそれぞれ備えられている御詠歌を前の晩に繰り返し暗記してのこと。服装は、手甲脚絆、白衣の上に「南無大師遍照金剛」と書かれた笈摺を羽織り、輪袈裟、前には頭陀袋を下げるといった白装束。道中、何時倒れても悔いないと云う覚悟。頭上には「同行二人」と記した菅笠、それを顎の下でぐっと締めると、気持ちも引き締まる。数珠を下げた手に、金剛杖を持って、巡礼者の心構えは全く整う。そして掲諦掲諦波羅掲諦と急ぎバスに乗り込む。秩父札所巡りは昔から「熊ヶ谷通い」、「川越通い」、「吾野通い」と三つの道があった。その「吾野通い」で秩父に入った。巡拝中、百数十段と云う急坂の高所に位置する観音院もある。石段上で足を少し斜めに踏み込めば、杖を持ったと同じ効果があり、登り降りが楽になる。秩父観音院は子育てとの因縁が深い。四番札所金昌寺で「子育て観音」を参拝した後、納経所でお礼を所望した。知人宅の初産の嫁さんに贈るためである。そのお礼は家族皆で心配している、家の床の間の鴨居に大事に貼り付けられたとのこと。これこそが、秩父観音の御利益とでもいうものだろうかと自分一人密かに合掌をした。この巡礼も四回を以って結願となり、最後の三十四番水潜寺で結願式が行われた。そしてこれまでの疲れは、バスの添乗員も言っていたように、翌日ではなく3日目に纏めて、どっと出て来た。そのことも確かだなぁと分かった。つまり我も年なのかなぁと。